「ない」ものを求めるより「ある」ものに感謝する話


こんにちは、鈴木健人です。

 

僕は『起業しよう』と決意した時から、成功法則とか自己啓発関係の本を読み漁っていました。

 

その中でよくある考え方が、

「『ないもの』を求めるより、『あるもの』に感謝しよう」

というものです。

 

僕はキリスト教の生まれなので、「感謝しなさい」という教育は嫌というほど受けていましたし、実際、何にでも感謝する方でした。

 

しかし、本心はこうです。

 

 

 

『感謝してるからもっと儲けさせてよ!! 感謝すれば儲かるんじゃないのかああああああああい!!』

 

 

 

 

実際には本で「感謝すること」を覚えた後も、豊かになることとは程遠く、頑張れば頑張るほど心身的にも経済的にも困窮していったものです。

 

やがて僕は完全に力尽き、貯金も家も携帯も失い、愛知県某所で露頭に迷うことになりました。

 

感謝したところでお金は手に入らなかった

教わった通りにやったのに、教わった通りの結果が得られなかったので、僕は

『HAHAHA! 神様はどうやら俺のことがよほど嫌いらしい!』

と思いました。

 

しかし、僕は結果的に、その後すぐ自分の事業を(ささやかですが)興して、とりあえず自分1人を養うくらいの収入を得られるようになりました。

100円稼ぐのにも丸一日かかっていた男が、です。

 

なぜそんなことが起きたかというと(要因はもちろん色々ありますが)、今思えば「『ない』ものを完全に諦め、『ある』ものだけを頼りにした」というのが1つ大きかったと思います。

 

何もない中で「それでもある」もの

上述の通り、僕にはもうお金も家も連絡手段もなかったので、現状で持っているものを使う以外に選択肢がありませんでした。

それは、身体1セットと、高校を卒業してすぐに買ったボロボロの財布1つと、大昔に習った、わずかな演技の記憶です。

 

僕にはそれしかありませんでした。

『演技の記憶』というのも、人生の役に立つとは到底思えないレベルのお粗末なものです。

 

『仕事にする』なんて夢のまた夢で、もはや『お金が欲しい』などとは思いませんでした。

 

だから、僕は「ここからやり直そう」なんて少しも考えませんでした。

 

完全に人生諦めて、

『誰か、ちょっと、芝居して遊ぼ。そしたら満足して死ぬから』

というようなつもりで、演技に興味のある人と集まって、誰かがどこかのサイトから拾って来た台本を一緒に読んだりしました。

 

あんなショボい遊びであんなに楽しんだのは何年ぶりだろう。

 

何も欲しなくなると、あれこれ悩むことも、自分の能力が低いことを悲観することもなくなり、遊びに夢中になれるものです。

 

僕は仲間との芝居ごっこが楽しくて、死亡期日を延長して、しばらく熱中しました。

 

結果的に得たもの

すると、段々自分は演技が上手いような気がしてきました。

やがて、友達から『演技を教えてほしい』と頼まれるようになりました。

 

僕が演技を教えるようになると、友達は自分の知り合いを連れて来るようになりました。

そして、教えると毎回好評だったので、今度は不特定多数の人を誘ってみることにしました。

 

物事を人に教えていると、自分自身も理解が深まるので、習っていた頃より演技の幅が広がりました。

 

こうして、僕はいつの間にか演技講師になっており、その傍らで声優としての仕事や舞台出演のオファーが徐々に増えていきました。

 

かつて死ぬほど渇望した『演技を仕事にしたい』という願いは、こういう形で叶いました。

これは、僕の能力が高かったからではなく、むしろ「高い能力を求めず、低い能力をきちんと使った」ことが始まりです。

 

だから、「今の自分じゃ何も出来ない」と後ろ向きに考えず、「こんな自分でも出来ることは何か?」と常に考えてみてください。

 

夢想することしか能のないホームレスでも出来ました。

当然あなたにも出来ます。

bigmeilmag

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